三陸復興

あれから5年

旅の途中ですが・・・・・・

東日本大震災から5年です。

私達にいま出来ること。

被災地にボランティアに行かなくても、出来ることはいっぱいあるはず。

Dsc_2490今夜は、大好きな鉄道写真家・中井精也先生の夢と希望の三陸鉄道。写真を見ながら

岩手県大船渡の日本酒bottleを頂きたいと思います。

もしかして、こんな日にお酒なんてと思う人もいるかもしれません。

それでも、いいのです。

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F's Family

暖かくなったり、寒くなったりと身体にはキツイ毎日ですよねcoldsweats01

そんな我が家も元気なのか?なんなのか?(笑)

2月、我が家の長女はちょっと訳あって陸前高田市にボランティアに行っていましたよ。

交通手段も宿泊先も長女が自ら手配をし、友達もなく一人旅というか一人ボランティアbus

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夜はこんな感じ。ご飯も自分で調達するんだって。ちょっと心配しましたが、毎日送ってくるLINEをみて、たくましく育ったな~って思うこと半分。ちょっと遊びに行っているんじゃないのだからね!半分の親心pout

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薪割りや竹割り。草むしりやビニールハウス作業。ここまではよろしい(笑)

朝や夜は地元のおじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃん、おばちゃんが食べ物もってきてくれるんだって。地元のお酒もbottle美味しい牡蠣まで食べに連れて行ってもらって・・・・・。

いったい、この性格というかなんだろ?誰に似たんだ?てか私か・・・・・・bleah

東北の方々の愛を感じて帰ってきましたよ。

そして、長女が帰ってきた翌日にこんなことがeye

仕事に行っていたダンナさんから、「寒気がする~。嫌な予感がするから帰るsign03

同時刻、スノボーに行っていた次女から「スキー場で熱が出たっぽい。辛すぎるsign03

家で疲れて寝ていた長女も「頭がガンガンする~sign03

なんだ!なんだ!3人いっぺんに熱?だとするとインフルエンザかよdash

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親子3人で地元の病院へhospitalすぐに隔離(笑)看護婦さんに笑われたんだってさcoldsweats01

だって、親子っていったって50代の父親と20代の娘ふたりだからね。

検査結果は・・・・・・・・単なる風邪(疲れ)でした(笑)

インフルでないとわかった長女は、今度は香港にairplane行ってしまいましたとさ。

次女も、じゃあね!って自分のアパートへ帰って行ってしまい(笑)

私ひとり、元気でしたgood

・・・・・で、香港に行った長女からは香港経由でベトナムに行くって言っていたのに、飛行機乗り遅れたから、香港のまま~ってLINEが来たと思ったら翌日にはチケットとれたから、やっぱりベトナム~って。

親の心配は尽きませんdowndown

1456314299721送られてくるのは、アルコールの画像ばっかりだしねshock




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あの日越えられなかったトンネルの向こうへ

じぇ!じぇ!じぇ!

って、別にあまちゃんファンでもないんだけどhappy01

どっちかというと、鉄道ファンって言ってもらった方がいいんだけどbleah

そして、仲間の育った場所。仲間が再会した場所・・・・・・・・。

いろんな思いを込めて、何度も見てしまいました。そして何度みても涙が止まりませんweep

決して、悲しいストーリーでもないのに。

「恋するフォーチュンクッキー 岩手県 三陸鉄道南リアス線ver.」



あの日越えられなかったトンネルの向こうへ・・・・・・・

岩手三陸鉄道ホームページ

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大船渡

前日の、「復興屋台村 気仙沼横丁」

そして、次の日

のお昼は「大船渡 屋台村」で食べる事にしました。

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選んだお店は「鮨 季節料理 ささき」

ちょっとこのささきを紹介させていただきますね。

こちらは私が選んだ、「おいらのまかない丼」900円

マグロ・イカ・ウニ・イクラがたっぷり入っていてきゅうりや納豆、山芋、たくわん、めかぶ、温泉卵を思いっきり混ぜて食べるのですが、とてもまいうー♪なんですよ。

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そして、ここの大将のささきさんは、26年間浅草のお寿司で働いていて故郷に戻りご自身のお城のお店を陸前高田に開店。

そして、開業してから5か月後にあの震災。そして被災。

数々の寿司コンテストを受賞したささきさんは、とても明るくたまに冗談も行って私たちを迎えてくれました。本当は私たちが励ます側なのに。

プレハブ作りの店舗のメニューの中にとある文字を発見!

人気ナンバーワン なみだ巻き

レベル1から10 11まで。これはなんですか?って訊ねたら、頼んでみなって。本当は10が最高だったのだけど、最近に制覇した人がいたから11にしたって言う巻きずし

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そう、ネタはわさび。レベル5を境にシャリとわさびの量が逆転していくんだって。なので私たちはレベル6を注文。

ちなみにレベル10は完全にわさびでシャリが巻かれているもので、レベル11は海苔の外側にもわさびが付いているものだそうです。

レベル6でも、なみだなくては食べられませんでした。

それよりも大将のささきさんのおしゃべりが楽しくって長居したい場所でしたよ。次回は夜に「また来ます

おまけ。

仙台駅で食べた美味しい牛タンランキング 1位2位を争う「喜助」 

Photoshake_1373237600354_2とても肉厚でジューシーでしたよ。普段食べている真ん丸い焼き肉店の牛タンとは別格。

おしんこと青唐辛子の味噌漬け??はSO GOOD

bullettrain今回の旅は、時間的にとてもタイトでしたが、行ってそして見てよかったんだと思いました。

20年ぶりに再会した仲間たち。ありがとう。

そして、また再会を誓って。

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陸前高田・大船渡・そして南三陸町

気仙沼で朝を迎えました。朝一人で日の出とともに起きて海岸近くまで行ってみましたが・・・・・。

途中から、心臓がバクバクし始めてしまって。何にもない、誰も居ない海岸近くに行ったのはいいのですが、カメラを向けても映しても画像を確認することも出来ず・・・・そのままトレーラーハウスに戻ってきました。

跡かたもまくなってしまった、水産工場や海洋高校。明るい時に見る被害地は声の出ないほどの静まりかえった悲しい空間でした。

朝の7時30分に出発です。ただ、せっかく一番遠く福井県からやってきた仲間の一人は急に入った仕事の為、泊まってそのままトンボ返りで福井に帰っていきましたよ。

ちょうど40歳過ぎ。一番仕事で辛い立場の年齢なんですよね。

気仙沼から陸前高田に向かいます。

ココは、最近テレビで「奇跡の一本杉」の復活ってやっていましたよね。先日、皇太子さんもこの杉を使ってビオラをつくったって言っていましたよね。

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本当は、買ったばかりのカメラでも撮ったのですが、いまだに画像を見ることが出来ずスマホで簡易的に撮った画像です。

テレビでは、この画像ばかり映されてますが・・・・・本当はこの反対側をみんなの見てもらいたい。この裏側は見渡すばかりの荒野。何もなくなってしまっている。

唯一残っている建物は、枠だけ残して空洞。こんな平らなな場所、いったいどこに逃げるのか???って思ってしまいます。

ココは、2年経っても非常に心苦しい場所だったです。

そして、大船渡

今回行った仲間の生まれ育った場所。そして被災した場所。

学び育った学校はすべて流されていた。ココも息をのむような苦しすぎる、目を背けたい場所だった。

だけど、ココで生き延びた仲間は大船渡のとても良い景色の場所があるんだと高台の仮校舎のある場所へと案内してくれたの。

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行った高台はとても景色が良く、きっとあの事がなかったら素直にキレイだと思えるんだろうな。

このあと、この高台からけもの道を降りて秘境の海岸へと案内してくれたのだけど、コレがまた死ぬほど辛い道のりだったわけで・・・・・・「信じられない!!」ってブーたれた言葉ばっかりの私だったのですけどね。

この後、食事をして仙台に戻るだけなのに、来た道を帰ればよいのにカーナビの言うとおりに行けばよいのに、迷子?になって最後の被害地

南三陸町へ偶然にもたどりついてしまったのです。

途中、報道でもよくみた住宅街まで打ち上げられてしまった巨大船をみて

こちらも遠くでスマホで撮ってみたものの、怖くって近くまで行けなかった。

南三陸町は、あの防災センター(最後まで町民のみなさんに避難の放送をしていて被害に遭われた女性職員が居た場所)まで行って、手を合わせてきました。

周りはすべて流されているのに、この防災センターだけは(骨格だけは)残されたままなんだけど、ぶっとい鉄筋は津波が向かったであろう方向にグシャってまがったまま残されてました。

先日に、結構復興しているんじゃん。なんて思った自分があまりにも無知で何も知らなかったんだろうな。って

いったい、この町たちは後何年経てば元通りになるんだろう?本当に元通りの生活ができるのだろうか?って自問自答してしまいます。

clipこの記事は、コメントを閉じさせていただきます

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気仙沼

東京から仙台まで新幹線で行き、仙台からはレンタカーを借りてこの日の宿のある気仙沼まで向かいます。

この道のりは、山側から向かったのであまり災害の被害を見ることが出来なかった為か「思ったより復興は進んでいるんだな」なんて勝手に思ったほどでした。

この日の宿泊先は、気仙沼にある

コテージ キクタ」さんです。←リンクを張っておきますので是非ごらんください。

菊田さんは、津波の影響で自宅を流され、ご両親と奥様をなくされています。自宅のあった場所に、トレーラーを持ってきて、復興作業員の方や、被災地への帰省客、観光客の人たちに泊まるところを提供しています。

トレーラーハウスということで、期待をせず行ったのですが、とても快適でキレイで有名ホテルと変わりないかんじでしたよ。

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ちゃんと、ナンバーをくっつければ、走れるそうですよ。でも夜中じゃないと迷惑だって言ってましたけどね(笑)

でも、ここまで見てステキな所じゃん!って思うかもしれませんが、ココは津波で流された場所なんです。近くには何にもないところなんです。何にもないのではなくて無くなってしまった場所なんです。

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わかりますか?ど真ん中にあるのが「コテージ キクタさん」です。

菊田さんは来てくれてありがとうって言ってくれました。たくさんのご苦労を話してくれましたがまるで笑い話のように語ってくれるのがとても切なく、そして勇気をいただきましたよ。

「また来ます。」

そして、夜は車で30分のところにある「復興屋台村 気仙沼横丁」に行きました。

仮設の店舗だけど、働いている人はみんな笑顔でしたよ。お邪魔したお店は「本手打ちうどん たすく」

ここで、気仙沼で有名な?「マンボウのお刺身」と「マンボウの天ぷら」を頂きましたよん♪

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どちらも、クセがなく美味しくいただきました。ホヤもどう??って言われたけどごめんなさい。食わず嫌いです。

お店の方も、とても気さくで震災の事いっぱい話してくれました。生で聞く惨事は心のどこかのドアをノックされるような感じでしたよ。

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帰りには、お店の壁に再会を約束してみんなでメッセージを残してきましたよ。

まるで、来てくれた事を喜んでくれているかのように、雨上がりの空には虹がhappy01

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よ~く見ないとわからないかもしれませんが、ちゃんと虹がかかっているのですよ♪

「また来ます」

お腹いっぱいになった一行はコテージに戻り、改めて再会の宴が始まるのですが・・・・・・・・。

ご存じの人は(笑)またかとお思いになるかと思いますが、20年来の再会であろうが私は一人で先に寝ます。

なので、ゆっくり休養した私は次の日もひたすらハンドルを握ることに(笑)

だって、みんな朝方まで飲んでいるんだもん。

次の日は、被害が大きかった、陸前高田・大船渡・南三陸町へ向かいます。

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みちのり

この記事は、長文になります。もし、お時間がないとか興味がないという方はスルーしてくださいね。

pencil年賀状

毎年届く20年来の学生時代の仲間からの年賀状。そこに、社交辞令のように毎年変わらず書いてある文字

「今年こそは、ミンナ揃って会おう!」

返事にも「そうだね。今年こそは。近くに来たら必ず連絡してよ!」

この言葉がやっと卒業して23年の時を経て実現したのが平成25年7月。

pencil震災

2年3か月前におきた、東北地方を震源とする「東日本大震災」

次々にテレビに映し出される映像。被災された地域の中で毎年来る年賀状の差出人が・・・・・。

この時のブログはこちら「元気です」と「ありがとうございました

震災後、早くみんな揃って会いに行きたかったのだけど、でもなかなかその機会がなかったというのは言い訳で。

そんな中で、震災とは関係なかった後一人の仲間が偶然にも必然にも今年に入って見つかったのをきっかけで「ブログになって9年目になりました

とんとん拍子に話がまとまって岩手行が実現したのです。

pencil岩手行き

岩手に行くと決まった時、回りの人たちは興味本心で「なんでもブログネタになると思っていくよね~」と冷ややかな言葉をいただきました。

はっきり言って、私もにわかボランティアでまるで観光地にでも行くような気持ちがあったのも本心です。帰ってからブログで「被災地に行ってきました!」なんて堂々と書いたりするのかな?って

岩手に行く前にカメラも新調して、まるで戦場カメラマン気取りでバシバシ撮ってくるんだ!なんて思ったりしてましたが・・・・・・・・

実際に目の前にした被災地は、あまりにも悲惨すぎて。

二年もの歳月で、がれきはかなり処理されてました。しかし、あの当時のままで残っている建物があちらこちらにあり。

人々の生活のなかで、毎日見るあの景色はあまりにも残酷すぎて凝視することができませんでした。

この旅で、私はレンタカーのハンドルを握っていたので目の前に映し出される悪夢の風景から目をそらすことが出来ず、一緒に乗っていた仲間たちもどんなに疲れていようと、誰一人寝ている人も居ず、みんながこの現実を脳裏に残さないと!と必至だったと思います。

テレビや新聞で報道されるのは一部であって、繰り返し同じ映像のなかでしか被災地を見ていなかったんだと思いました。

仙台まで新幹線で行き、レンタカーを借りて気仙沼・南三陸町・陸前高田・大船渡と被害が大きかった町を見て回りましたが、

自分の目で見る被災地は、2年たっても想像をはるかに超えてまだまだ復興なんて言葉を使ったら失礼なほどでした。

もしかしたら、別にボランティアに身体を使いにいった訳ではないので、冷やかしだと思わるかもしれません。

でも、今だったのです。私たち仲間が会わなくっちゃいけなかったのが今だったのです。

pencil仲間

被災した仲間のもとへ行った仲間たちも、みんなそれぞれに年を重ねていろいろな悩みも重ねていましたが、誰もが、それぞれの立場や状況を暗黙の了解で理解しているのがとてもかっこよく、居心地がよかったです。

誰もがグチを言うこともなく、20歳のころの性格を思い出して「あの時もそうだったよな~」

「いつも、コレだよ!」って20年ぶりにあったのに誰もが許してくれるってスゴイなって思いましたよ。

始めは、20年ぶりに合うのに1時間も遅れてきた仲間の一人に私は「遅れてきたんだから謝れよ!」って怒りをぶつけてしまいましたが、きっとアイツはびっくりさせてやろうって思ったことが裏目にでて、こんなになっちゃったんだよ。とかで、みんな優しいんだよね。

そして、この旅で私自身初めて言われたこと。

「○○はせっかちだな~」「もっとゆっくりでいいんだよ」

そっか、ゆっくりでいいんだよね。焦らなくってもいいんだよね。

pencil被災者

今回の目的はボランティアでもなく、観光でもなく「仲間に会いに行く」

なので、ココに行くや、アソコに行くって言う予定はまったくなかったわけですが、たくさんの地元の人と話す機会がありました。

仲間もそうですが、一生分の苦しみを体験したはずなのに皆「笑顔」なんです。

笑って、あの震災を話すのです。なんで、あんなことがあったのに皆前向きなんだろう?

「頑張ってくださいね」なんて言葉なんて言えなかった。

また、来るね!」って「待ってるよ!」って

pencilカメラ

今回の旅では、カメラで被災地を撮ることができませんでした。厳密にいうと数枚撮りましたが撮ってしまったことに、罪悪感が残ってしまって。

復興への道すじになるものは、改めてUPしますがその他の写真は今後も表には出さないと思います。

そして、被災地を車で通っていて感じたこと。

カーナビで「すぐ先、踏切です」ってアナウンスしてくれるのだけど、線路がなかったり、休線中って張り紙があったりで、これもまた切なかったです。

電車の写真も撮れるだろうななんて思っていた私。考えが甘かったです。

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こちらの記事はコメント欄を閉じさせていただきます。

復興へお手伝いできるモノは改めて紹介させていただきますね。

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